「島原の乱」では、最初にキリシタンが寺社を焼き払い、僧侶らを殺害した!
7月1日付当ブログ記事「キリシタンは日本人女性を奴隷として売り、日本を植民地にすることに加担・潜伏キリシタンが世界遺産」のコメント欄に、イエズス会やキリシタンが日本で行ってきたことについて良くまとめられた記事を紹介された。
イエズス会の伴天連(バテレン)やキリシタン大名らが行った、日本人奴隷の貿易、寺社の破壊や僧侶の殺害、「島原の乱」などの真相について、分かり易くまとめられているので改めて紹介する。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=335080
イエズス会は日本で何をしてきたか
るいネット 北村浩司 2018/04/24
○日本人の奴隷貿易
1587年九州平定過程にあった秀吉は、イエズス会の日本のトップである、ガスパル・コエリョに、イエズス会の日本での行為について詰問している。
「予は商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。」(ルイス・フロイス「日本史4」)
当時キリスト教は教義で奴隷を公認しており、イエズス会は商船の奴隷貿易に関する許認可権をもっていた。コエリョ自身がポルトガル商人に代わって日本人奴隷売買契約書に署名した記録もある。日本人奴隷貿易は15世紀後半には16世紀の後半には、ポルトガル本国やアメリカ、メキシコ、南米アルゼンチンにまで及んでいた。
『東洋ポルトガル古記録』には「ゴアにはポルトガル人の数より日本奴隷の数の方がより多い」「日本人奴隷は男よりも女が好まれた。行き先はゴアを中心とする東南アジアだが、ポルトガル本国にも相当数入っている」と記されている。 ローマに派遣された少年使節団も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれているのを目撃して驚愕している。
彼らは大村、小西らキリシタン大名らにより捕虜とされたもの達や仲介商人によるものである。奴隷売買と引き換えに当時日本では希少価値であった硝石と交換され、硝石一樽と日本人女性50人が交換されたという記録もある。当時の日本人の奴隷売買は人口1200万に対し2万人から4万人余と推定される。
○寺社の破壊と僧侶の殺害
秀吉は同じくイエズス会のコエリョに「キリシタンは、いかなる理由に基づき、神や仏の寺院を破壊し、その像を焼き、その他これに類した冒涜を働くのか」と詰問する。
秀吉は農村秩序の核になっている寺社の破棄を、かなり重く見ていた。
実際特に九州では寺社破壊は凄まじく、例えば大村領では神社仏閣が破壊され、その結果6万人以上のキリスト教信者が生まれ、87の教会ができたという。寺社破壊はキリシタン大名の統治する地域で日本各地に及んだ。キリシタン大名であった高山右近は大阪の高槻城主であった時に、普門寺、本山寺、広智寺、神峯山寺、金龍寺、霊山寺、忍頂寺、春日神社、八幡大神宮、濃味神社といった大寺社を焼き討ちにより破壊したといわれている。イエズス会のコエリョをはじめ当時の宣教師の多くは仏像や仏教施設の破壊にきわめて熱心であり、九州では信者を教唆して神社仏閣破壊させたことをフロイス自身が書いている。
○島原の乱の真相
キリシタンの悲劇として描かれている最大のものが1637年の『島原の乱』である。教科書からは島原・天草地方のキリシタン弾圧が酷く、重税を課したことから農民たちが圧政に立ちあがったと読める。しかし事実はかなり異なっている。
当時の反乱勢は3万7千人、篭城戦時では幕府軍は12万以上で圧倒的な差がありながら制圧に半年を費やしている。しかも緒戦においては板倉重昌率いる幕府軍4万人は惨敗。一揆勢の死傷者が僅かに7名なのに対し、幕府軍の死傷者は4千名にのぼった。しかも板倉は討ち死にしている。
これは、反乱勢が大量の武器弾薬を保有していたからにほかならない。では、彼らが大量の鉄砲などを保有していただけではなく、その使い方にも習熟していたのは何故なのか。
まず、一揆勢の中心が百姓ではなく、キリシタン大名だった有馬や小西の残党だったことである。有馬と小西は関が原の合戦において西軍側につき、他国に移封される。『天草征伐記』と『徳川実記』等の記述にも、キリシタン大名であった小西行長の遺臣が中心になって、それに有馬の旧臣も加わって、困窮した農民を糾合して蹶起したとある。
しかもただの「農民」とは思えない行動が目立つ。一揆勢の行動で目に付くのは寺社への放火や僧侶の殺害である。有馬村では村民らが、所々の寺社を焼き払ってキリシタンに戻ると宣言し、これに周辺八ヵ村の村民らが同調して寺社に火を点け、キリシタンにならない村民の家には火をかけている。さらに島原城の城下町でも江東寺、桜井寺に放火している(『別当利杢左衛門覚書』)また彼らは、代官の林兵左衛門を切り捨てた後、村々へ廻状を廻し、代官や『出家』『社人』(下級神官)らをことごとく打ち殺すように伝達した為に、僧侶、下級神官や『いきがかりの旅人』までが殺されたという(『佐野弥七左衛門覚書』)。
その後彼らは、九州諸藩の討伐軍の接近を知って島原半島に移動し、島原の旧主有馬家の居城で廃城となっていた原城に籠城する。島原と天草の一揆勢が合流し、大量の鉄砲と弾薬を保有してこの場所に立て籠もったのである。彼らが原城に籠城したのはポルトガルなどの外国勢力の支援を期待していた可能性があり、少なくとも幕府はポルトガル等の支援を警戒していた。それには理由がある。
ポルトガルやスペインには明と朝鮮を日本の傭兵を使って占領する計画があった。その際幕府と対立することは確実で、九州のキリシタン大名を幕府から離反させる計画であった。
そのためには長崎周辺を軍事拠点化する必要がある。クルスがイエズス会に宛てた書翰によれば、 九州が日本から離反する際には、キリシタン大名達がポルトガル人に基地を提供することは確実で、特に小西行長が志岐港を差出すことを確実視している。キリシタン大名たちとの間で計画は相当詰められていたようだ。
更にフランシスコ会の宣教師の本国への報告によれば「有馬や長崎は1590年には軍事要塞工事が行われており、イエズス会の宣教師達は、長崎近辺に有している村落のキリスト教徒たち全員に、三万名の火縄銃兵を整えた」とある。イエズス会は来たるべき戦いの為に、多くの武器弾薬を準備し、長崎近隣の信徒達に火縄銃の訓練をさせていたのだ。乱の中心勢力は小西行長や有馬の家臣である。スペイン・ポルトガルの影を幕府が想定したのは不思議ではない。
この3万挺の銃などの大量の武器の押収記録はない。大量の武器は島原、天草、ポルトガル船などに分散して隠され、訓練は江戸時代に入ってからも密かに続けられていた可能性が高い。そう考えないと、島原の乱における単なる百姓一揆とは思えない軍事行動や、大量の武器の調達や島原藩や唐津藩などの正規軍を一時圧倒したことの説明は困難だろう。
参考:しばやんの日々等
豊臣秀吉による「バテレン追放令」(伴天連追放令)
しばやんの日々
400年以上前に南米や印度などに渡った名もなき日本人たちのこと
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-116.html
秀吉はなぜ「伴天連(バテレン)追放令」を出したのか~~その1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-132.html
秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その2
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-133.html
秀吉はなぜ「伴天連追放令」を出したのか~~その3
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-134.html
戦国時代に大量の寺社や仏像を破壊させたのはキリシタン大名か、宣教師か
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-135.html
秀吉はなぜ朝鮮に出兵したのか~~朝鮮出兵1
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-188.html
★キリスト教徒に神社仏閣や仏像などが破壊された時代
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-372.html
★日本人女性がポルトガル人やその奴隷に買われた時代
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-373.html
フィリピンを征服したスペインに降伏勧告状を突き付けた豊臣秀吉
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-374.html
★島原の乱の最初にキリシタンは寺社を放火し僧侶を殺害した
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-386.html
島原の乱の一揆勢が原城に籠城して、どこの支援を待ち続けたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-387.html
島原の乱の「一揆勢」は、大量の鉄砲と弾薬をどうやって調達したのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-388.html
●関連記事
キリシタンは日本人女性を奴隷として売り、日本を植民地にすることに加担・潜伏キリシタンが世界遺産
http://deliciousicecoffee.jp/blog-entry-7133.html
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この記事と同じ趣旨なので、
話題が広がるかも知れません。
https://blogs.yahoo.co.jp/takaonaitousa/42278770.html
本当に信長が天皇陛下の地位を狙っていたのか疑問です( 一一)。
私の仮想:
天皇陛下の地位?奪取??そんなことするわけないだろ、たわけ!!
と言い放った信長を、あっさり暗殺する
:
ことなど、たやすい御用ですからね( 一一)。
西洋人にしたら( 一一)。
****http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=600&t=6&k=0&m=335080
イエズス会は日本で何をしてきたか
るいネット 北村浩司 2018/04/24
****
○寺社の破壊と僧侶の殺害
秀吉は同じくイエズス会のコエリョに「キリシタンは、いかなる理由に基づき、
神や仏の寺院を破壊し、その像を焼き、その他これに類した冒涜を働くのか」と詰問する。
秀吉は農村秩序の核になっている寺社の破棄を、かなり重く見ていた。
実際特に九州では寺社破壊は凄まじく、例えば大村領では神社仏閣が破壊され、その結果6万人以上のキリスト教信者が生まれ、87の教会ができたという。
寺社破壊はキリシタン大名の統治する地域で日本各地に及んだ。キリシタン大名であった高山右近は大阪の高槻城主であった時に、
普門寺、本山寺、広智寺、神峯山寺、金龍寺、霊山寺、忍頂寺、春日神社、八幡大神宮、濃味神社といった大寺社を焼き討ちにより破壊したといわれている。
イエズス会のコエリョをはじめ当時の宣教師の多くは仏像や仏教施設の破壊にきわめて熱心であり、
九州では信者を教唆して神社仏閣破壊させたことをフロイス自身が書いている。
*****
秀吉は相変わらず鋭い( 一一)。
それに「比叡山の焼き討ち」と、あまりにもカブリます( 一一)。
創作物ではありますが、信長狂詩曲でも、「比叡山の焼き討ち」は、信長とは別人格(本人は本人だが)が行ったと言う設定でしたが( 一一)。
あり得ますね( 一一)。
黒人の従者も居たという信長のバックにも当然、西洋人がついていたでしょうから( 一一)。
彼らに徹底的に訓練された別働部隊が貫徹したのかもしれませんね~~~( 一一)。
国を差し出す輩、占領希望勢力。現代に当てはめるとパヨチンだな.
マスゴミが戦後日本で宣伝したのがアメリカに負けたから日本が民主主義に成ったと云う暴論。日本は元々、民主主義ですね。
あの頃のスペイン、ポルトガルの布教の目的は寄進と云う形で土地を奪う為のもので最終的には国をキリストに差し出させる為の物。
実際は国王が受け取り布教の目的が達成される。
江戸期に徳川が何でオランダと貿易したかと云うと、商売が目的で布教をしなかったから。だと思いましたが。
シナの影響が極めて強いユネスコでは反日、侮日関連の歴史上の物なら、何でも世界遺産化されるんじゃないですか。
この長崎の世界遺産も侮日的、反日的に感じますね。
平和的なキリシタンを弾圧した悪い日本と云う構図が透けて見える。
シナの影響がユネスコで強くなた事でアメリカは脱退しましたね
日本も過剰に反日的な国連の方から来ました。詐欺には金を払わない等の揺さぶりを掛けて飴と鞭でアカの追い出し、国連の方から系の浄化活動に協力した方が良いですね
元々、敵側で戦勝国クラブこと連合国(通名、国連)、何ぞに加盟してホルホルしてるとかボケ過ぎてる
国連も国連の方から来ました詐欺も白馬の騎士等ではない
金カネカネの金の亡者が蔓延る秘密クラブ。
最貧国で金にタカル事しか考えて無い奴と東側崩壊で路頭に迷った元共産主義者の溜り場
http://www.youtube.com/watch?v=wFqM9rJjT-E
↓
キリスト教徒ならば、それで神は地上にイエスを使わした・・としたいのだろうが、別にブッダを使わしたとしても何の問題も無いという話。
↓
悪魔の軍勢を退けた仏陀_HD(พุทธานุภาพปราบทัพพญามาร)
http://www.youtube.com/watch?v=7k6PUkd28lE
http://www.youtube.com/watch?v=l7-lql35lpo
太平洋戦争:終戦最後の1年間 後編
http://www.youtube.com/watch?v=3upuz-u0od4
これもまたキリスト教徒による犯罪である。
殺戮対象に選んだ。
無論、ハーグ陸戦協定違反は承知の上だ。
東京大空襲をはじめとする全国90以上都市への焼夷弾無差別爆撃と、
挙げ句の果ての原爆である。
人も又、天から追放された罪人。
その救世主たるキリスト。
救世主キリストに従わぬ者は全て悪魔の手先。
悪魔の手先は神の名の下に滅ぼされ、神を信じる者のみ救われる。
そんなものは、都会に行かなければない。
日本の大部分の市町村には、そんなものない。
JKビジネスなどは、90%以上が東京と大阪に集中しており、東京か大阪に行かなければない。
日本中に性風俗や変態産業が溢れている様に宣伝するな、糞ボケが!
日本海洋掘削(1606)
本日7月4日(水)の気配+50円のストップ高 169円
7月3日(火)の気配+30円のストップ高 119円
7月2日(月)に+30円でストップ高 89円
東京証券取引所より、日本海洋堀削(1606)について、値幅制限撤廃
の通達がありました。
明日6月26日(火)の前場より、同銘柄の基準値段および制限値幅の上限・下限は次のとおりとなります。
基準値段 500円
値幅上限値 600円
値幅下限値 1円
詳細は
【株式ニュース】最新版
http://www.aixin.jp/axbbs/jsks/jsks.cgi
何せ、スペイン・ポルトガルの南米侵略(インカ帝国の滅亡)と、鉄砲伝来迄にはたったの10年しか開きが有りません
それに当時の日本は【金鉱山】が多く、砂金の算出も多かった事から、貿易の決算に金が使われた事も含めて、スペイン・ポルトガルが日本侵略の拠点作りや、『キリスト教信者を使っての内戦拡大』を狙って居たのは間違い有りません
勿論、イエズス会がスパイ活動をしていた事は、本国への連絡からも明らかですし、金鉱山の発見や掘削に力を貸していたのも資料が残っております
そもそも、スペインやポルトガルが『各地方有力大名に近づいた』のは、内戦拡大(戦国時代の延長)を狙い、キリスト教信者を使って国を乗っ取ろうとしたからで有り、南米でも現地土着宗教を徹底的に弾圧して、キリスト教信者に改宗させたのも、支配しやすくする為なのは言うまでも有りません
だから私は『キリスト教が大嫌い』です!!
ローマ教皇にも、何らの敬意も有りません
隠れキリシタン特集を見て、
やっぱりテレビはダメだなと、それ以来見てい無い。
情弱は喜んで見ているのだろうけど、
弾圧された被害者ズラが凄すぎて、見てられなかった。
いまだに過去を肯定する様なカルト信仰してて、
よく顔だしなんて出来るもんだよ。
隠れキリシタンなんて人身売買の秘密結社でしかない。
このように東日本が抑圧されているのに、東日本で抵抗者の宗教であるキリスト教が広まらなかったのは不思議だ。
キリスト教には、本質的に縄文的伝統と相容れないものがあるのだろう。
古くは縄文系と弥生系の対比から始まる。
弥生系は大陸由来の渡来人の系列であり、縄文系は土着的な古くからの住民の血筋であった。『倭人争乱』などによれば3世紀後半にそうした大乱があったとする説が唱えられている。
その後の日本史では幾度か、西と東の対決がある。壬申の乱が有史の記録の最初となる。
壬申の乱では大友皇子が旧勢力と渡来系を代表し、大海人皇子は地方の新興勢力を巻き込んでいるかのような図式である。このいくさは17世紀の関が原合戦に対比されるようになる。
次いで源平争乱は明確な構図で東西対決が起きた。平氏は九州から中国地方の海運と豪族たちをバックにして戦い、源氏は関東勢を主力とする騎馬兵力でそれを打ち破っている。鎌倉時代は関東勢力が権力の中枢を担った。
鎌倉北条氏の滅亡の物語りでもある太平記の時代は西側の悪党の反抗から開始される。
南北朝時代から室町時代は構図が崩れているが、西側の反旗と足利政権による東西の融和で短い安定期を迎える。
応仁の乱は全国規模での争乱である。ただし、西軍の山名宗全と東軍の細川勝元は西日本や東日本の代表ではなかった。
戦国期を平定したのは尾張・三河勢力である。しかし、その勢力の中心は近江、京都、大阪から江戸へとめまぐるしく移転している。
関が原合戦こそが東西対決のモデルとなっている。ほぼ東西の地割で二つの勢力が衝突した。結果は東日本勢力の勝利である。
逆に明治維新は西国、九州と四国中国地方が開化のパワーをばねに東日本の権力構造と封建制を打ち壊すことになる。
http://d.hatena.ne.jp/Hyperion64+singularity/20131201
何が人道なのか判断の付かない日本人の行動。
これを見ると知識の高い者は、今も昔も変わらず感化され易い弱点を持っている。
公平性は、その時代から難しかったようであるが、天下を差配する征夷大将軍となると俄然公平性を発揮して国益優先になる。
キリシタンは、日本に来るとキリシタンそのものがキリシタンを捨てる行動に出るくらい日本の民度に感化されるケースも有ったようである。
全てに於いてキリシタンの思いを凌駕した日本は、征服困難な国として映ったようである。
欧米人は悪の心にキリスト教という矯正ギプスを嵌めることで文明を維持して来た。
そのため、キリスト教がないと、欧米人は悪人になってしまう。
欧米人は悪の心を持っていたが、キリスト教を信じる事ができる者のみが競争に打ち勝ち、人為選択で繁栄を築けた。
これが欧米人の言う人類と文明の進化だ。
これに対し、日本人はもともと悪の心を持たなかった。
稲作共同体では、強固な村の掟により秩序を乱す悪の遺伝子を持つ者は、早期に間引かれ、繁殖でき無かったからだ。
日本人は、その為に欧米人に比べ悪の心が少ない。
欧米人にはそれが理解できない。
キリスト教が無いのに、どうして日本人は悪人にならないのか?
キリスト教を信じない日本人は何か汚い心を隠し持つ野蛮で原始的な奴らに違いないと欧米人は思っている。
http://www.youtube.com/watch?v=94dY-QxjDiE
歴史学会はクズの集まりだな。
彼らと、日本の進歩的記者、西裡(里)龍夫は日常的に日僞方面の情報を交換していた。西里は後にその正体が発覚して逮捕され、紀綱や汪錦元、陳一峰、鄭文道(1914-1942)との関係を自供した。(鄭文道は逮捕後すぐ死亡。1982年烈士に追認された。)そのため、彼らも全員逮捕され、日本に送られた。日本の東京戦時法廷は、彼らに死刑の判決を下した。しかし、陳璧君は、汪錦元を相当重用していたので、夫の汪精衛に直接関与して助けるよう強く要求する。この為、汪が外交部を通して日方と交渉した結果、汪錦元など3名は、再び上海に送り返された。上海では改めて裁判が行われて、彼らは無期徒刑に減刑されたのであった。
しかし、日軍の岡村寧次総部は、一体何の為に紀綱を出獄させ、体面に構わず新四軍に派遣したのだろうか?
それは、日本侵略者が当時、日毎に窮地へと追い詰められていた情勢と関係があった。
1941年、独、日、伊の三つのファシスト国家が侵略戦争を発動した。この年は枢軸国の絶頂期であり、彼らの自惚れは極点に達していた。しかし、1943年9月、イタリアがまず、英、美、ソ連に無条件降伏した。1945年5月、ドイツ無条件降伏。これと同時に、米国は対日進攻を急ぎ、爆撃機を用いて不断に日本本土を爆撃した。さらに、中国戦線においては、八路軍、新四軍は侵華日軍の64%、僞軍の95%を撃滅。並びに1944年からは、初めて局部反攻を開始している。この時日本は、滅亡の時期がまさに来臨しつつあることを、はっきりと感じ取っていた。そして、蘇北新四軍は心臓付近に刺さった一個の棘であり、日本は居ても立っても居られない不安を感じていたのである。日軍は、戦線を短縮し、中国の泥沼から一日も早く抜け出すために、新四軍との連携を急遽思い立ったのだ。
彼らは新四軍との間に、ある種の黙契を結ぼうと妄想していたのだが、その方法が無くて悩んでいた。事実日軍は、以前から何度も新四軍に使者を派遣して、連絡を取ろうとしていたが、その度に追い返されていたのである。この時日軍は、獄中にある紀綱、汪錦元、陳一峰の三人のことを思い出した。彼らを説客として派し、新四軍上層部と直接連絡を取り、以て自分たちの敗戦の命運を先延ばしにしようと妄想したのだ。汪、陳の二名は、日軍の申し出を拒絶したが、紀綱はあっさりとこの出獄の申し出に合意した。(続く)
☆中國共產黨新聞《趙連軍:抗戰期間,中共秘密接觸日軍岡村寧次總部真相》
尊敬するcoffeeさんのブログに紹介いただきとてもうれしく、励みになります。お蔭様で、今日は3割ほどアクセスが増えています。
これ等の記事は3年以上前に書いた記事が大半ですが、この話題に関心のある方が多いのに驚きました。
これからも、歴史好きの方に読んで頂ける記事が書けるようがんばります。
キリスト教の隣人を愛せと言う部分を無視して奴隷売買してる奴らを放逐してんだ。
キリスト弾圧などして無い。それが史実。
禁止して正解だよ。
「無法なキリスト教徒」を懲らしめただけ。
聖書に書いて有るものを無視する、「無法なキリスト教徒」をね。
ジブ☆の「もののけ姫」にも、影響を及ぼした人であったかと記憶しておりますが( 一一)。
>鎌倉北条氏の滅亡の物語りでもある太平記の時代は西側の悪党の反抗から開始される。
この、西側、渡来系、「悪」、東側、土着系、「善」という固定的な物の見方の固定はどうかと( 一一)。
之こそ、司馬がかつて書いていた、
「勢力を二つに割って片方を滅ぼす」というアングロサクソンの「作戦」に、
完璧にはまっているのではないのかと( 一一)。
いま、在コが行っているような、
沖縄を分断して、日本から抜きたい、
北海道のアイヌで、自治区を日本国内に、公然と作りたいと言った、
日本分断に明らかに加担するものと存じます( 一一)。
これらをすべて束ねておられたのが天皇陛下という
日本という国の構造(天皇陛下が扇の要)で、昔からそのように、太平を保ってきているのです( 一一)。
源平の戦いでは、優雅に平穏に貴族生活をしていた平家、
清盛は本格的に「貨幣経済」に目覚め、貿易で「銭を稼ごう」としていた人ですが、
方や、源氏は、
嫉妬に狂って急襲テロをも引き起こしたと( 一一)。
本来、戦では馬を射ってはいけないが、源氏側は、躊躇なく射まくる、
本来、絶対しないような、急襲テロで、平家を制圧( 一一)。
大河ドラマでさんざんな視聴率でした、だいぶ前の平家の物語も、
本来なら清盛の、シナまでに及ぶようなグローバルな活躍を、
シナに遠慮してか、しな歴史御用学者の解釈か知りませんが
(かなり左に寄った時代考証者がついていたと、当時ネットでは語られていましたが)、
全く割愛してしまい、貧相な物語にしてしまい、面白くなくしていたのも引っかかりますし( 一一)。
こういう現代における東西対決いざこざ(日本のテレビの「東京キー局制度の問題」も)は、
やはり天皇陛下を四神相応の地、京都に戻されて(遷都)、
日本を元からある形の太平の世にお戻しするべきなのであると存じます( 一一)。
日蓮の高弟は日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持の六名でありました。この中〈ウチ〉日持については、日蓮第十三回忌の後身延の墓に別〈ワカレ〉を告げ、蝦夷の地に向つたとのみで、その後の消息がわかりません。彼は言つたさうであります、「日本国内の伝道は日昭、日朗にて事足りよう。閻浮提〈エンブダイ〉広宣流布とあるからは、日本一国は物の数でない。自分はこれより外国に渡つて、広く世界に此の法門を弘通しよう」と。日持の大陸伝道の跡は知られません。しかし朝鮮に法華宗旨の寺があり、支那にも法華の寺院のあることが後世の文献に記載せられてゐるのは、恐らく日持伝道の跡であらうと伝へられてゐます。私はそれが史実であるか伝説であるかを知りません。一個の伝説であるに過ぎぬとしても、之は愉快な伝説です。伝教〔最澄〕が支那から学んで来たものを、日蓮の弟子が支那に伝へたといふのです。蒙古が兵船を以て来寇したに対し、日蓮の弟子は正法を以て報いたといふのです。之は天下の公道、宇宙の真理を学んだ日蓮の感化として、誠に適はしき逸話であります。彼は国家主義の宗教を支那に伝へたのではありません。さういふものは外国にまで広宣流布せられるに適せず、又実行も出来ないのであります。
http://blog.goo.ne.jp/514303/e/4264441c9ead739be983597c79b62786
在特会メンバーなどから暴行を受けたことで、山口祐二郎氏(憂国我道会会長)が損害賠償を求めた裁判が、8月26日東京地裁でおこなわれた。
高田(桜井)誠、水谷架義、新妻眞一、藪根新一、麻生照善、逮捕被告
懇親会を終えたばかりの在特会メンバーらが、偶然に居合わせた山口氏ら9名に襲い掛かり、暴行を働いた。
以下はN氏の陳述である
まず原告およびその場に居合わせた方々、そして差別的な言動によって人権を侵害してしまった不特定多数の在日コリアンの方々に、心からお詫びします。
インターネット上では在日コリアンにばかり向けられた悪意のあるデマを真に受けてしまい、いま思うと、カルト宗教に傾倒してしまったような状態でした。
《松井 昭和天皇独白録 高須 ナチス 足立 維新 安倍 大阪 橋下 カジノ 平昌 佐川証人喚問》
私は原告の請求原因の認否を争う趣旨ではありません。
本当に申し訳ございませんでした。
N氏は、「差別」に向かわせたものが、ネット上の「悪意のあるデマ」と「家族の言動」だとしたうえで、行動保守の運動を「カルト宗教」にたとえた。
www.targma.jp/yasuda/2016/08/26/post558/ 《 koichi.sato.79656 》
「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。
『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に
運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、
わめくさま地獄のごとし』。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、
ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、
交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。
キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、
その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。
『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。
肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。
鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、
白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。
ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。